
授業中、ふと自分の手をみる。指の付け根に毛がそよそよと生えている。
おかしいな。昨日お風呂で剃ったはずなのに。
こういうことは多々あるはずだ。
この世で1番剃りにくい場所ーそれが右手の指の付け根の毛だ。私は右利きだ。
必然的に左手で剃ることになるが、利き手でないので上手く力が入らない。
下手に力を入れると、皮膚の薄いこの部分は簡単に切れて血が出てしまう。
あー、なんてめんどくさい。そもそもこの毛って剃る必要あるのかな。
別によくない?指の付け根に毛が生えてても。
どこの毛は剃ってどこの毛は剃らないのかの取捨選択、これは特に女性にとって死活問題である。
例えば髪の毛は剃らない。ふつう。当たり前。
ではおでこの産毛は?眉毛のまわりは剃るからついでに剃るべきなのか。
目の外側は?鼻と唇の間は毛があったら、髭みたいだから剃らなきゃね。
だけど下唇のすぐ下の産毛は?剃った毛は次から濃くなってしまうので下手に剃れない。
カミソリ片手に鏡の前で悶々とする日々。あー、どっちだ。どっちが正解だ?
好きな男性アイドルが雑誌のインタビューで答える。
「俺産毛が好きなんですよ」そうなのか。産毛は残すべきなのか。
好きな女性モデルがYoutubeの動画でいう。「顔の産毛は剃った方が顔が明るくなります」確かにそうかもしれない。
あー、どっちだ。どっちが正解だ?
誰かに聞いてみたいが、ちょっと恥ずかしい。
毛って触れてはいけない話題な気が勝手にしている。
ある雑誌によると男性が考える彼女の家で見たらげんなりするものNo.1がカミソリらしい。
剃っている姿を想像したくないんだって。
そんなのさ、ずるいよ!自分だって剃るでしょう?
別に毛は汚くないのに。ああ可哀想な毛。
でもやっぱり毛についておおっぴらに話すのは恥ずかしい。
男性は髭もすね毛もそのままにする人が多い。
この女性の毛に取り憑いた先入観はなんだろう。
女性の肌は陶器に例えられることがある。
陶器からは毛は生えない。死んでいるから。
毛は生きている証拠だ。体から生え、抜ける私達の分身よ。
私達はその証拠を削る様でさえも否定されなくてはいけないのか。
身体中の毛達よ。ごめんね。生まれ変わったら睫毛にでも生まれておいで。
右手の指の付け根の毛は剃りにくい。でも放っておけばまたすぐに生えてくる。
だから、誰かが代わりに剃ってくれないかな…私はそう妄想する。
毛について話すのは、恥ずかしい。げんなりされるかも。
でもそれをも超えて、私の右手の指の付け根の毛を剃ってくれる人、それこそが運命の人の条件ではないか。
運命の人は生きている私、意思ある私を受け入れる。
生きているからこそ、毛が生える。
多くの男性は女性に現実的な部分を見せて欲しくないと思っている。
女性の清潔な部分は褒め、それを生み出す過程は卑下する。
メイクをする過程の変顔を馬鹿にするのもその一例だ。
でも、見て見ぬ振りせず、その過程ごと努力ごとまるごと受容するのが本当の愛ではないだろうか。
女性は男性の頭の中に存在するものではなく、実在する意思をもった個体だ。
彼が本当に自分を受容してくれているか不安だったら、毛の話をすることはできない。
毛の話をすれば嫌われてしまうかもしれない。
「私の指の付け根の毛を剃って」なんて死んでも言えない。不毛な関係。
しかも毛を剃るには皮膚に刃を立てることになる。下手すれば怪我してしまう。
細やかな羞恥に息を潜める彼女の繊細な指を優しく固定し、彼は真剣な眼差しで刃をリズミカルにスライドさせる。
その瞬間は一種神聖な張り詰めた空間だ。
お互いが信頼しあい、委ねられる関係。
それが指の付け根の毛を剃る関係なのだ。
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